放置ぎみで、ずびばぜん!m(_ _)m
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インドへ/横尾忠則
2007年07月03日 (火) | 編集 |
indoe

私のHPには、「オイラの日記」なる、ブログが存在するが、現在は、
野ざらし状態になったまま…

最近、仕事以外でも、出かける用事が増えて、更新もなかなかできない。
使いまわしってわけではないけど、みんなに読んで欲しいものを
少しづつこちらにUPしたりしようかなぁ~なんて思う。
明日は、仕事終了後、渋谷直行でライヴ。
コメントへのレスは、あさってになります。m(_ _)m
2003年12月30日 (火)

自分で常日頃、頭にあるが文章にできない事ってない?
彼は、それを見事に言い当ててくれていると思う。
心と身体は切り離す事ができない。
私は、父の亡骸を見た時、「父ではない」と思った。
これは魂の乗る単なる乗り物なんだと感じた。
肉体と魂は、切り離せない存在であることは、ずっと
ずっと感じていたが、それを目の当たりにする良い機会を
父が私に与えてくれたのだと思う。
そして、私の中に確かに父は存在している…。
横尾忠則「インドへ」より抜粋

僕はインドで、自然と人間が合体し、1つに溶解していく
姿を見て、ここに芸術の原点があると強烈に感じた。

自然と交流を失った人間が作り出すものはその結果において
悲劇性を帯びている。確かに現代文明はわれわれを物質的に
満たした。しかしその反面、人間が物に従属し、自然から
離れた生き方を良しとしている。

人間の限りない夢と欲望が現代の文明を作った。
人間が自然から離れた時、人間はすでに自らが自然の1部で
あることを捨ててることになる。

また科学の発達は精神や魂を切り離し、宗教という問題を
ないがしろにしてしまった。唯物的な思想は宗教を否定し、
人間の魂の存在や、輪廻転生や業(カルマ)の問題を無視してきた。

もし人間が魂の不変や業の理法を持ち続けていたならば、
人類はもっと別の科学的発達をして、別の文明を築き
あげていたかも知れない。

科学は物、宗教は心、と両者を別々に追及してきた。
本来この両者は1つにならなければならないものである。
なぜなら人間は物質(肉体)的存在であると同時に精神(心)
的存在であるからである

コメント
この記事へのコメント
夏休みの課題図書e-68

大学の頃、田村隆一の「印度酔夢行」っていうのを読んで、インドに憧れた事ありました。

> もし人間が魂の不変や業の理法を持ち続けていたならば、
> 人類はもっと別の科学的発達をして、別の文明を築き
> あげていたかも知れない。

マイルスの「アガルタ」のジャケットが、まさにこんな感じですね。
2007/07/04(水) 02:05:45 | URL | Oimizu #7qizzFss[ 編集]
夏休みに是非!d(^o^)b

私は、暑い時に、冷房をつけず、窓を開け放し
インド音楽を、お香を焚きながら聴くのが好きです。
冷房の中で、暑い国の音楽は、わからないという
勝手な解釈なんですけどね!(笑)

「アガルタ」…うぉぉぉぉ!横尾さんチックなジャケですね?
現代文明の中に、突如として現れた、ゴーギャンの世界!
って感じですね!(笑)

アトランティスを思い浮かべますね…私の場合。

理想の王国「シャンバラ」を目指しています!私…。
2007/07/05(木) 11:04:45 | URL | Tommy #FhYyxA6I[ 編集]
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横尾忠則横尾忠則(よこおただのり、男性、1936年6月27日 - )は、兵庫県西脇市生まれの美術家、グラフィックデザイナー。神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。1980年7月にニューヨーク近代美術館にて開催されたパブロ・ピカソ|ピカ
2007/09/07(金) 12:40:30 | らんの部屋
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